●地租改正● |
●殖産興業政策の展開● |
●「富国」から「強兵」へ● |
◆徴兵免役規定 1873年1月10日に布告された徴兵令第3章常備兵免役概則などの、おもな免役規定は次のようなものでした。 ① 身長155cm未満 ② 病弱者 ③ 官吏 ④ 陸海軍の士官学校生徒 ⑤ 官立学校生徒・留学生 ⑥ 戸主 ⑦ 嗣子 ⑧ 養子 ⑨ 代人料270円納入者 体格不良者(①②)のほかは、官吏と学生(③④⑤)、戸主及びその相続者(⑥⑦⑧)、代人料270円納入者(⑨)などが免役されたわけです。これらの規定から、官僚制と「家」制度の維持に、明治政府の意図があったことがわかります。 ⑨の代人料というのは、自分のかわりに兵役を務める者にかかる経費のことで、これをまかなうことで徴兵を免除されました。兵卒一人にかかる年間必要経費は約90円で、その内訳は次の通りです。 給与 約18円25銭 食費 約30~32円 被服・消耗品等 約41円 1年間に約90円かかるわけですから、3年間(徴兵服役期間)なら270円になるという計算です。 1883(明治16)年の改正で免役規定は廃止され、単なる徴収猶予の形になりました。さらに、1889(明治22)年の大改正によって平時徴収猶予は廃止されました. |
第1回内国勧業博覧会は、明治10年8月、東京上野公園で開かれました。博覧会という名称は、明治4年の京都博覧会を始め、各種物産会や名品陳列会等としてすでにありましたが、内国勧業博覧会はは従来の見世物イメージを払拭し、産業奨励を全面に打ち出した画期的なものでした。約3ヶ月にわたる会期中の入場者数は約45万人。海上には、本館、美術館、機械館等の陳列館が建設され、8万4千点余りの展示品が、鉱業及び冶金、製造物、美術、機械、農業、園芸の6区画に分けて展示されました。
第2回内国勧業博覧会は、明治14年3月から約4カ月間、第1回と同じく上野公園で開かれました。入場者は第1回のおよそ2倍の約82万人。英国人建築家コンドルが設計した本館のほか6館の陳列間が建てられ、33万点程が出品されました。
(国立公文書館平成22年秋の特別展解説書『公文書にみる発明のチカラ・明治期の産業技術と発明家たち』P.1)