17世紀のとくに前半に諸藩は、必ずしも幕府の許可を得ずに独自の金属通貨を発行した。これを領国貨幣という。金沢藩の金貨・銀貨や、小倉藩(こくらはん。細川家)の銭などがある。全国的には銀貨が多く、銭は寛永通宝発行の前のものが主であり、西日本に多い。1630年代の小倉藩主細川忠利(ただとし)の父・忠興(ただおき)は、領内の通貨を統制する権限は藩にある、という意識を持っていた。
余談だが、細川忠利は銭を鋳造する際に、古びたように加工するよう命じた。新しい銭なのになぜそんなことをわざわざさせたかというと、古い銭こそ信用が高かったからである。どういうことかというと、新しくてピカピカしている→使われたことがない→ということは受け取られた実績がない→次に受け取ってもらえないかもしれない→だから受け取ると損するかもしれない。逆に使い古された銭は、これまで使われている→次も受け取ってもらえるだろう→だから受け取っても問題ない、という発想である。劣化しすぎた銭が撰銭されるのは仕方ないとして、きれいすぎてもダメだったようだ。
(高木久史『通貨の日本史』2016年、中公新書、P.94〜95)
●金 貨● |
◆試金石(しきんせき) 物の価値や人物の力量などを判定する物事を「試金石」といいますが、これは金座で使われていた試金石が語源です。 試金石は、黒い石に小判などをこすりつけて、そこにあらわれた条痕色(じょうこんしょく)を、試金棒(標準試料)の色と比較して、金の濃度を判定する道具です。金の地金や古い金貨、また製造途中の金貨の品位を調べるために用いられました。 試金石の原料となる黒石には、もっぱら那智黒石(なちぐろいし)が用いられました。現在の三重県熊野市神川町から産出される粘板岩(ねんばんがん)の一種です。黒色で緻密(ちみつ)なので、金属をこすりつけた時、条痕色が判別しやすいのです。現在、那智黒石は硯(すずり)や碁石(ごいし)の黒石などに利用されています。 【参考】 ・齋藤努「江戸時代の金座と小判の製造工程」−NICHIGIN 2008年、14−(インターネットで閲覧可能) |
◆耳をそろえる 貴金属である金は、棒状・ブロック状・粉末状という形状に関係なく、金として取引されます。問題になるのは形状ではなく、品位と重量なのです。そうなると、悪知恵を働かせるやからは、小判の縁(へり)をヤスリや小刀でほんの少しずつ削り、そうやって集め貯めた金くずを売ってもうけようと企みました。そして、削られた小判の方は、素知らぬ顔をして使ってしまうのです。 小判を何枚か重ねてみると、こうした不正を見破ることができます。小判を重ねると、不正がある小判は削られた縁の部分が若干へこんでいるので、見分けることができるのです。そこで、小判がでこぼこなくきれいに重なった状態を、小判の左右両端を耳に見立てて「小判の耳がそろう」といいます。借金を一度に完済することを「耳をそろえて返す」というのは、ここからきています。 |
●銀 貨● |
●銭 貨● |
●三貨の交換と両替商● |
●藩 札● |