それまでは、経済効率を無視して、ただ生活の必要から自家消費用としてつくられていた作物も、それにもっとも適した土地に集中的につくられるようになる。このようにしてその土地にもっとも適合した作物を集中的につくり、それを全国に売りだすという特産物農業がはじまる。こうした新しい産業は4代将軍家綱の治政、慶安・寛文ころにはじまり、5代将軍綱吉が将軍になったころ一般化し、元禄・享保頃に定着する。現在、俗に名物・名産といわれるもののなかには、この時期に端を発するものが少なくない。
このころ展開した特産物農業のなかで、もっとも規模の大きかったのは、国民衣料としての木綿、燈火用の菜種・蝋、国民的嗜好品としての煙草などの栽培であった。長いあいだわが国庶民の衣料としては麻が用いられてきた。 ( 中略 ) 商業としての農業がすすむにしたがい綿作に適した近畿・中国筋は綿の特産地として栄え、またたくまに麻を庶民衣料の座から追いはらってしまった。
また長いあいだ、庶民は日没とともに夕食を終えて寝るという、夜の時間のない生活をつづけてきたが、商業としての農業がすすみ、生活に余裕ができるようになると、しだいに燈火を生活に取りいれて、夜を生活の時間に加えるようになった。これに決定的な役割を果たしたのが、菜種・生蝋などの燈火原料が特産物として各地で大量に栽培されるようになったことである。今日嗜好品の王座を占めている煙草も、木綿と同様戦国時代に広がりはじめたものである。
(大石慎三郎『元禄時代』1970年、岩波新書、P.49~50)
●農業の発達● |
●水産業の発達● |
◆地曳網漁でにぎわう銚子 地曳網漁では多くの人手が必要です。鰯が大量に入った重たい地曳網を、人力で陸上に引きあげなければならなかったからです。そこで、糊口(ここう)をしのぐ場として、あぶれ者から親から勘当(かんどう。親子の縁を切ること)された放蕩(ほうとう)息子まで、多くの人びとがひとまず目指す場所が銚子でした。たとえば、次のような川柳があります。 銚子言葉で「御(ご)すいりょうなされまし」 勘当された放蕩息子が銚子で過ごしている間に父親が重病となり、「勘当を許す」という手紙を受け取りました。懐かしい江戸の生家に飛ぶように戻った息子が、危篤状態の父親の枕元で口にした言葉が、上の「御すいりょうなされまし(これからは真面目に行動しますから、私の決心を思いやって信用して下さい)」です。 前非を悔いた詫び言(わびごと)を銚子訛(なま)りで告げるところに、苦労を経験した息子の実直さが表れています。荒くれ者たちにまじって地曳網を引くという過酷な生活に身を置くことによって、放蕩息子の腐った性根はすっかりたたき直されました。そしてそのころには、言葉もすっかり銚子訛りになっていたというのです。 【参考】 ・渡辺信一郎『江戸のおしゃべり』2000年、平凡社新書、P.67~70 |
●林業の発達● |
●鉱工業の発達● |
◆「下らない」の語源 天皇が居住する都への尊称として、「上方(かみがた)」という言葉が使われました。「上の方角」という意味です。 上方の範囲は一定していません。三河以西全域を指したり、畿内5カ国に近江・丹波・播磨を加えた8カ国を指したりしていました。しかし、一般的には京・大坂方面を指して「上方」とよんでいました。 したがって、地方から上方に向かうのを「上(のぼ)り」、上方から地方に向かうのを「下(くだ)り」といいました。京都に向かうのを「上京」といったり、上方の人たちが地方から訪れた人を「お上りさん(田舎者)」といって揶揄(やゆ)したりするのは、これに由来します。 江戸前期は、京・大坂が文化的にも経済的にも、江戸よりも優位に立っていました。上方から江戸に入ってくる商品は「下(くだ)り物」と呼ばれ、高級品の代名詞でした。したがって、「下らぬ物」は粗悪品という意味になりました。ちなみに、江戸周辺の地方から江戸に入る商品は「地廻(じまわ)り物」とよばれました。 |
◆西之内紙の使われ方 水戸藩の和紙は、西野内(にしのうち。茨城県山方町)・鳥子(とりのこ。同美和村)などで生産されました(『新編常陸国誌』)。なかでも西野内産のものは、極上品質として、その名声を江戸にまでとどろかせました。西之内紙(または西之内)は楮皮(ちょひ)だけを原料とした、丈夫で紙魚(しみ)がつかない、保存に最適な紙だったのです。それゆえ、水戸藩の『大日本史』の用紙や証文類などに使用されました。 西の内おくんなさいと泣いて来る(『誹風柳多留』) という川柳がありますが、娘の身売証文を書くために親が泣く泣く西之内紙を買いに来る、という意味です。 また、火災が多かった江戸では、大福帳(商家の売買を記録した元帳)は西之内紙で作るのが習慣だったといわれています。万一火事になった時、商家では井戸の中へ大福帳を投げ入れました。鎮火した後、引き上げて乾かせば、十分判読に耐えたというのです。 |