(1598年、東洋を目指してロッテルダムを出港した5隻のオランダ船は、南アフリカ南端を回って太平洋に入るコースを目指した。しかし、嵐やスペイン・ポルトガル船の襲撃にあい、東洋にたどり着いたのはリーフデ号だけだった)
日本に着岸せんと欲しけるに、日本人、是(これ)を海賊なりと謂(い)ひて、舶及び載貨(積んでいた荷物)を悉(ことごと)く奪ひたり。舶中の者も、捕虜となれる者の外は、生命も危(あやう)かりし。
家康公……右の和蘭(オランダ)人中の一人を見んとて、召されたり。時に、此(この)召しに応じて按鍼役(あんじんやく。水先案内人)「ウィルリアム・アダムス」を出したり。此者ハ英吉利(イギリス)の産にて和蘭の東印度公班衛(東インド会社)に勤仕(ごんし)し、「クヮアケルトアク(リーフデ号の船長クワケルナック)」の指麾(しき)を受けて「エラスミュス(リーフデ号の前名はエラスムス号といった)」に乗れるものなり。……将軍(家康)、是に以西把尼亜(イスパニア)及び波爾杜瓦爾(ポルトガル)のことを尋問あり。此時、右の二国は和蘭の敵国なれば「アダムス」の答に此二国を称賛せざること知るべし……「アダムス」及び余の数人ハ暫(しばらく)く大坂の城中に囚(とら)ハるニ、後(のち)竟(つい)に日本に留(とどま)ることを命ぜらる。
(フィッセル著・杉田信他訳『日本風俗備考』国立国会図書館蔵(http://www.ndl.go.jp/nichiran/data/L/034/034-002l.html。2017年1月6日閲覧)。読みやすいよう漢字は現行のものに改め、適宜句読点を配した)