●天平文化の特色● |
●国史の編纂と地誌● |
六国史 | 巻数 | 対象とする時代 | 成立年代 | 天皇 | 編者 | |
1 | 日本書紀 (にほんしょき) |
30 | 神代〜持統 | 720 (養老 4) |
元正 | 舎人親王 |
2 | 続日本紀 (しょくにほんぎ) |
40 | 文武〜桓武 (697〜791) |
797 (延暦16) |
桓武 | 藤原継縄 (つぐただ) |
3 | 日本後紀 (にほんこうき) |
40 | 桓武〜淳和 (792〜833) |
840 (承和 7) |
仁明 | 藤原緒嗣 (おつぐ) |
4 | 続日本後紀 (しょくにほんこうき) |
20 | 仁明一代 (833〜850) |
869 (貞観11) |
清和 | 藤原良房 (よしふさ) |
5 | 日本文徳天皇実録 (にほんもんとくてんのうじつろく) |
10 | 文徳一代 (850〜858) |
879 (元慶 3) |
陽成 | 藤原基経 (もとつね) |
6 | 日本三代実録 (にほんさんだいじつろく) |
50 | 清和・陽成・光孝 (858〜887) |
901 (延喜元) |
醍醐 | 藤原時平 (ときひら) |
●文 学● |
◆藝と芸は別の字 わが国では芸を藝の略字として使いますが、もともとは別の漢字です。芸は本来「うん」と音読みし、中国では植物の一種を指す漢字でした。日本では、本来の意味での「芸」がほとんど使われない漢字だったので、芸を藝の略字として使っても支障がありませんでした。 しかし、わが国でも、二つの漢字を区別して使った時代がありました。石上宅嗣がつくった私設図書館「芸亭」がそれです。これは「げいてい」でなく「うんてい」と読みます。 芸(うん)というのは香りのよい草の名前で、その発散する香りは虫除けに効果がありました。そこで、古くは書物を保存する際に、この草を置いて虫除けとしたのです。宅嗣の図書館に「芸」の字が使われているのはそのためです。中国の宮中蔵書機関を「芸閣(うんかく)」、防虫のためにこの草をいれた書帙(しょちつ。書物の保護カバー)を「芸帙(うんちつ)」というのもその例です。 さて、一方の藝は、本来は下の「云」の部分がない漢字でした。藝はその異体字(標準字体でない漢字)です。この字はもともと樹木など植えることを意味し、それから派生して、人間の精神に何かを芽生えさせることをも意味するようになりました。心の中に豊かに稔り、やがて大きな収穫を得させてくれるものが藝であり、その代表は何といっても学問でしょう。古代中国の学校で教えられた学問は、「六藝(りくげい)」といわれるものでした。 【参考】 ・阿辻哲次『漢字の字源』1994年、講談社現代新書、P.146〜148を参照 |
◆暗号のような万葉仮名 『万葉集』は万葉仮名で書かれています。万葉仮名は難解で、誰もが解読できたわけではありませんでした。そのため、表音文字のひらがな・カタカナが発明されると、万葉仮名はたちまちに廃れてしまいました。その結果、万葉仮名は、正しく読める者が誰一人としていない暗号になってしまったのでした。 そうした事情は、『万葉集』の専門家にとっても同じです。佐竹昭広氏は、「かりに十人の万葉学者に全四千五百余首の読み下しを作らせれば、十人の間におそらく何百箇所という相違が出てくること必定(ひつじょう)である。(中略)意地悪く言うなら、結局どの本に拠(よ)ってみたところで全面的な信用はおけない」(佐竹昭広『古語雑談』1986年、岩波新書、P.186)と述べています。 たとえば、教科書に必ず載っている柿本人麻呂の次の和歌は、このように読むという保証はどこにもありません。 東(ひむがし)の野(の)にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ 原文はわずか14文字です。 (原文)東野炎立所見而反見為者月西渡 この原文を、上記のように読み下したのは江戸時代の国学者賀茂真淵(かものまぶち)でした。あまりにも見事な読み下しなので、以後数百年間に渡って人麻呂の和歌はこのように読むのだ、と私たちは思い込んできました。しかし、真淵以前は、 あづま野(の)のけぶりの立てる所(ところ)見てかへり見すれば月傾きぬ と読み下していました。現在でも、たとえば「月西渡」は「月西渡る」とそのまま読み下した方が、東の日の出と西の月入りを対照させて歌意がしっくり通る、などと異論は多いのです。 つまるところ、タイムマシンでも発明されて、作者に直接会って質(ただ)してみないことには、正しい読み下しはわからないのです。 |
●教育機関● |
●国家仏教の展開● |
三論宗 | 竜樹(りゅうじゅ)の『中論』『十二門論』、提婆(だいば)の『百論』の三論にもとづくのでこの名があります。飛鳥時代に伝来し、大安寺の道慈(どうじ)が深めました。 |
成実宗 | 訶梨跋摩(はりばるまん)の『成実論』を研究しました。わが国には、三論宗に付属して伝来しました。 |
法相宗 | 人間の心識の働きを離れてはいかなる実在もないとする立場で、唯識宗(ゆいしきしゅう)ともいいます。義淵(ぎえん)や玄ム(げんぼう)らが出て、奈良時代には大いに栄えました。 |
倶舎宗 | 世親(せしん)の『阿毘達磨倶舎論(あびだるまくしゃろん)』を教義とします。法相宗に付属して学ばれました。 |
華厳宗 | 『華厳経』によって立宗したものです。全世界は一即一切、一切即一の無限の関係において成立し、円融無礙(えんゆうむげ)を説きます。東大寺初代別当の良弁(ろうべん)が唱え、東大寺が華厳宗の中心となりました。東大寺大仏殿の盧舎那大仏は華厳経の教主です。 |
律 宗 | 戒律(僧尼が守るべき一定の規範。止持戒(してはいけない規則)と作持戒(しなければならない規則)に大別)の実践躬行(じっせんきゅうこう。自ら実行すること)を成仏の因とする教えです。天武天皇の時代に伝来しましたが、鑑真の渡来によって盛んになりました。 |
●天平美術● |