●日本列島と日本人● |
◆さかのぼる人類の起源 最古の人類は猿人と呼ばれます。猿人の化石はアフリカでしか発見されていませんから、人類はまずアフリカで誕生したと考えられています。相次ぐ新しい発見により、人類の登場時期は次第にさかのぼっています。 1924年に南アフリカで約100万年前の猿人の化石人骨が発見され、アウストラロピテクス・アフリカヌスと名づけられました。1992年にはエチオピアで、約500万年前とされる猿人の化石が発見されアルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)と名づけられました。2002年にはチャドで、なんと約700万年前とされる猿人の化石が発見されました(サヘラントロプス・チャデンシス)。でも、「本当に人類 なの?」と疑う意見もあります。 |
◆マンモスの名前の由来 ナウマンゾウがナウマンに由来するなら、マンモスは何に由来するのでしょうか。 これには諸説あってはっきりとはわかりません。一説によると、『聖書』にある カバを意味する「ベヘモス」という言葉がもとになっている言われています。 ベヘモスはアラブ語で「メヘモス」と言います。アラブ商人は10〜11世紀頃シベリアでマンモスの牙を買い、アラル海近辺までこれを運んでは装飾品に加工し、大もうけしていました。17世紀にモスクワを訪れた外国人は、これを「マモウト」と記しているそうです。18世紀になると、この象に「エレファス・マンモス」という学名 がつけられました。この学名はその後「エレファス・マンモンチウス」に改められ、現在は「エレファス・プリミゲニウス(「最初に生まれた象」の意)」という学名が使われています。 【参考】 ・亀井節夫『日本に象がいたころ』1967年、岩波書店(岩波新書) |
◆消えゆく更新世の化石人骨 1931(昭和6)年、兵庫県明石市の西八木海岸で、化石人骨(腰骨)が発見されました。この人骨を原人とする説があり、「明石原人」と呼ぶ学者もいました。しかし、疑問を呈する意見も多く、いつしか忘れ去られました。そのうち人骨は1945年に空襲で失われてしまったのです。幸い石膏型がとられていましたので、この人骨が本当に原人であったのかどうかについて、ことあるごとに論争が再燃し続けました。しかし、最近の研究で新人(それも完新世のものとする意見が強い)であることが判明したということです。ちなみに、作家の松本清張氏は、人骨発見者の直良信夫(なおらのぶお)氏をモデルにした『石の骨』という小説を書いています。 そのほかにも更新世の化石人骨とされながら、研究の進展にともない、教科書から消えてしまった化石人骨に次のようなものがあります。 葛生人(くずうじん。栃木県佐野市) →縄文時代以降の人骨 牛川人(うしかわじん。愛知県豊橋市) →上腕骨は動物の骨 三ヶ日人(みっかびじん。静岡県浜松市)→縄文時代の人骨 聖嶽人(ひじりだきじん。大分県佐伯市)→中世以降の人骨 |
「第5次野尻湖発掘の1973年3月28日にナウマンゾウのキバ(切歯せっし)とオオツノジカ(掌状角しょうじょうかく)がいっしょに見つかったんだ。これらはおよそ4.4万年前の地層からでてきたよ。キバが三日月、ツノが星に見えることから『月と星』とよばれていて、野尻湖で一番有名な化石なんだ。(中略)昔の人たちが大切な意味をこめたものなのかな? ぐうぜんにできた自然のものかな? あなたはどう思いますか?」
(野尻湖ナウマンゾウ博物館の説明シートより)
野尻湖近くで見つけたマンホールのふた